沈没船から新たに発見!エルギン・マーブルズの秘宝
1802年、物議を醸した第7代エルギン伯爵トーマス・ブルースの所有するH.M.S. メンター号がギリシャの海岸沖で沈没しました。この船には、パルテノン神殿や他のギリシャの遺跡から略奪された数々の遺物が積まれていました。
200年以上が経過し、海洋考古学者たちがこの難破船を調査し、金製品、調理器具、チェスの駒など、元の積み荷に関連する多数の新しい遺物を回収しました。
エルギンの物議を醸す功績
オスマン帝国駐在イギリス大使だったエルギン卿は、メンター号に遺物をイギリスに運ぶよう命じました。彼の行為は今でも物議を醸しており、多くの人からアテネから貴重な骨董品を略奪したと非難されています。
エルギン卿は遺物を持ち去る許可を得たと主張しましたが、その行為の合法性は争われています。彼の発掘調査によりパルテノン神殿がひどく損傷し、当時の骨董品愛好家から異議が唱えられました。
海底の秘宝
メンター号は、航海を続ける前に停泊する予定だったマルタへの途上で沈没しました。乗客と乗組員全員が生き残りましたが、貴重な積荷は少なくとも最初は失われました。
エルギン卿は、現在大英博物館に収蔵されている有名なエルギン・マーブルズなど、その後のサルベージ任務で遺物のほとんどを回収することができました。しかし研究者たちは長い間、追加の遺物が沈没船に閉じ込められているのではないかと考えていました。
海底探査
2009年以降、水中考古学者たちはメンター号の難破現場で毎年発掘調査を行い、エルギン卿の救助者が取り逃がした遺物を探しています。これまでの調査では、船の乗客と乗組員の私物や、エジプトの彫刻の断片、古代の輸送用壺などが発見されています。
今年の調査では、金色の指輪、金のイヤリング、調理器具の一部、木製の滑車などが発見されました。これらの新しく発見された宝物から、船の内容物や乗組員の生活に関する貴重な情報が得られます。
エルギン・マーブルズをめぐる継続的な論争
新たに発見された遺物はギリシャ政府の所有物ですが、エルギン・マーブルズの帰属については依然として争われています。イギリスとギリシャの両国が、このフリーズの所有権を主張しています。
ギリシャは、これらの大理石はアテネから不法に持ち出されたものであり、正当な所有者に返還されるべきだと主張しています。イギリスは、エルギン卿がこれらの遺物を合法的に取得しており、現在はイギリス博物館のコレクションの中で重要な一部を占めていると主張しています。
歴史的背景
19世紀初頭、アテネはオスマン帝国の支配下にありました。エルギン卿は遺物を持ち去ることを認める書簡を持っていましたが、この文書の有効性は争われています。
エルギン卿はパルテノン神殿から247フィートの彫像のフリーズ、15のメトープ、17の人物を持ち去り、多くの同時代人に憤りを引き起こしました。この大規模なプロジェクトはエルギン卿を破産に追い込み、彼は後にそのコレクションをイギリス政府に売却しました。
学術的な見解
学者イジドール・ヤンゼコヴィックは、エルギン卿の同時代人さえも彼の行為を物議を醸すものと考えていたと指摘しています。多くの人々が、修復途中のパルテノン神殿から遺物を持ち去ることに反対し、さらなる損害を懸念していました。
美術史家メアリー・ビアードは、エルギン卿の動機は複雑だったのではないかと示唆しています。彼が大理石を入手することで家族の名声を高めようとしたと考える人もいますが、彼は本当にそれらを保存することに専念していたと主張する人もいます。
ギリシャの一時交換提案
2009年、ギリシャは、フリーズの欠落部分用のスペースを備えたパルテノン神殿の近くに博物館を開設しました。その後、ギリシャはギリシャ独立戦争200周年を記念して大英博物館と一時的な交換を提案しました。
ギリシャは、それまでギリシャ国外に出すことが許されていなかった数々の遺物を、フリーズの短期貸与と交換することを申し出ました。大英博物館はこの要請を検討する用意があると表明しましたが、具体的な約束はしていません。
エルギン・マーブルズをめぐる論争はギリシャとイギリスの間で激しさを増しており、簡単な解決策は見えていません。メンター号の難破船から新たに発見された秘宝は、これらの象徴的な遺物を巡る複雑な歴史と継続的な論争を思い出させます。