イギリスの畑で発見された小さな金の書物はリチャード3世と関係がある可能性
注目すべき遺物の発見
バフィー・ベイリーと彼女の夫イアンは、イギリスのヨーク近くの農地で宝探しを始めることに興奮していた。ベイリーは金属探知機を使って、本をかたどった小さな金色の物体にぶつかった。1オンスにも満たず、長さはわずか半インチのこの遺物は、15世紀にまでさかのぼるものと思われる。
特定と重要性
ヨークシャー博物館の専門家たちは、この本の開いた「ページ」に描かれている人物を、出産の守護聖人である聖レナードと聖マーガレットだと特定した。この発見は、この金色の書物が、女性が出産中に身を守るために身につけていた可能性があることを示唆している。
リチャード3世との関連の可能性
この金色の書物は、リチャード3世のかつての住居であったシェリフ・ハットン城の近くで発掘された。専門家たちは、この精巧な物体が、王の親族、おそらく彼の妻アン・ネヴィルのものであった可能性があると推測している。この書物は、リチャードの幼少期の家の近くで発見された15世紀の金のペンダントであるミドルハム・ジュエルに似ていることから、この関連性が強まっている。
歴史的背景と奢侈禁止法
15世紀には、奢侈禁止法により、貴族以外の人々が金を持つことが禁じられていた。これは、この金色の書物が王室の一員など、身分の高い人物のものであったことを示唆している。
出所と所有権
この金色の書物とミドルハム・ジュエルがどのようにして畑で紛失したのかは、依然として謎である。専門家たちは、出産に関連した感謝や悲しみの表れとして、あるいは宗教的イメージを所有することが危険だった英国宗教改革の間に予防措置として、所有者が意図的に埋めたのではないかと考えている。
キャスリーン・ケネディの見解
中世と初期近代の物質文化の専門家であるキャスリーン・ケネディは、この金色の書物が聖書を表しているという主張に異議を唱えている。彼女は、イギリスの金細工師たちがこの本を聖書として特定されるように意図していたのであれば、有名な聖書の本文を本に刻んでいたはずだと主張している。
リチャード3世の統治と遺産
1483年から1485年までイングランド王を務めたリチャード3世は、ヨーク家の最後の君主であった。ボズワース・フィールドの戦いで敗北したことで、薔薇戦争が終わり、テューダー朝が始まった。リチャードが彼の甥であるタワーの王子たちを殺害したことに対する罪悪感は、依然として議論の対象となっている。
発見の重要性
この金色の書物は、ユニークで貴重な発見である。リチャード3世とのつながりとミドルハム・ジュエルとの類似性により、重要な歴史的遺物となっている。ヨークシャー博物館の専門家たちは、この書物の出所と重要性についてさらに詳しく知るために、この書物を研究している。
潜在的な金銭的価値
バフィー・ベイリーによると、この金色の書物は10万ポンド(約134,900米ドル)以上の価値がある可能性がある。博物館はこの書物を評価して価値を査定した後に購入することを決定する可能性があり、収益はベイリーと農地の所有者で分けられることになる。